思想

 「美的経験」の論理的根拠

外の神社で「福はう〜ち」とか連呼してるおっさん、うるせえ‥。アートを純粋に哲学されると引くのだが、面白いことは疑いえない。テスト対策兼。基本的に『現代アートの哲学』に依拠。 作品の美的経験は、その作品が生み出されたアートワールドの文脈や、そ…

 心脳問題について

さて、最近話題となっている心脳問題について。脳の言語(脳科学的記述)によって、人間の「心」を記述しようとする試みは、上記の意味の「モデル」としては非常に面白いと思います。その可能性の追求によって「心」についてどのような新たな意味の地平が見…

 関係としての存在、モデルは対象そのものではない

先日のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/Gen/20040804#p3)で 問いの立て方によって、対象にアプローチする方法によって、現実はいかようにでも捉えることができる。大切なのは「どのようなとらえ方をすると、どんな意味が見えてくるか、何がわかってくる…

 自然科学と人文系の学問

http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/3974/1074956085/198(仮に研究する人生) なかなかいい線を突いているのでは? 198 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/18(木) 00:14 理科系の人には、文科系学問はなべて言語世界(人間の知的活動全般を支援…

 「美」とは何か(=人間は「美」とどのような関係を切り結んで「美」という存在を捉えているのか)

美しいと感じるのが、対象自体の有用性の問題でないとすると、我々は対象の中に何らかのプラスの意味を感じていると言うことになる。ではそれは何か。(中略) つまり美しいとは、人間が対象の中から何らかの法則を見出した時の感覚であり、またそれは知的欲…

 自分はどうしたいのか

つくづく思うに自分は文化人類学をやりたいわけではないんですよね。あくまでそれは通過点であって、自分の納得のいく問いの立て方をしたいだけ。とりあえずは目指せ学振取得。それはともかく、ある研究対象の真実を知りたいわけではない。より事実に迫りた…

 現代思想用語である「economy(エコノミー)」についての解説メモ。

現代思想の文献で頻出する「economy」という語。バルト・デリダetc...。これをどのように捉えたら良いのだろうか。 昔は存在しなかった語である。16,17世紀の古典主義時代に誕生した。当時は、「受け取ったり、手渡したりする行為一般」をエコノミーと読んで…

 ゼミで出た/考えた面白い論点その他のメモ。デリダの「差延」に関連して。

1.デリダとチョムスキーは似ている。 痕跡/trace/反復、そしてそれが投射されていくという発想に近いものをチョムスキーは持っている。チョムスキーも始源性を問わない。だが最近それを問う理論言語学の流れがあらわれた。引っ張っているのは、ホーンス…

 さらにデリダ「差延(differance)」を紐解いてみる復習メモ。優等生?的に。

■背景 デリダは形而上学を批判した。すなわち、「世界の背後に永遠普遍の真理、ロゴスの世界が存在し、この世界はロゴスの世界の投影(現前)であり、仮の世界である」という考え方を糾弾した。その考え方では、同一性(あるものが同一性を保つこと)の原理…

 デリダのdifferance(差延)への理解が深まったというメモ。

ソシュールなんかだと記号(シーニュ)と記号の間の差異が意味をもたらしているのであって、言葉はそれに対応する本質的な実体を持たないという話になるわけですが、デリダの「差延」を捉える時になるほどなと思ったはなし。 差異は時間とともに揺らぐ。すな…

 フーコー

ある院生の方が「転換を表象と捉えて、それから<装置>を炙り出していく知の考古学」と述べたのはなるほどと思った。権力主体を問えないならば。

 「<わたし>の機能を形成するものとしての鏡像段階」

1949年 邦訳&英訳(Le stade du miroir comme formateur de la Fonction du Je) 『エクリ』所収 ラカン

基礎のおさらいロラン・バルト mythodology(神話)= "ideas in form" semiology(≒意味論)→"a form of science" 形式の科学(cf.ソシュール) ideology →"an historical science" discource(言説)="language in action" 日々の生活世界で用いられてい…