自然科学と人文系の学問

http://jbbs.livedoor.com/bbs/read.cgi/study/3974/1074956085/198(仮に研究する人生)
なかなかいい線を突いているのでは?

198 名前: 名無しさん 投稿日: 2004/03/18(木) 00:14
 理科系の人には、文科系学問はなべて言語世界(人間の知的活動全般を支援する言語リソース群の集積、とでもいおうか)のインフラ整備を行うもの、と理解していただいたほうがよろしいのでは。法学も経済学も、もちろん人文もそうした言語世界の中で形成されている体系のひとつである、と。いや、法・経済・心理など実学系統が言語世界という大地に立つ建築物だとすれば、人文系統はいわばその大地を掘削したり耕したり、にあたるでしょうか。
 この手の文理論争はいたるところで見かけますが、よく理科系の方がおっしゃる「役に立つ」「役に立たない」という言葉を「人間をとりまく物質的環境を変化させること」と言い換えれば、おおむね妥当でしょう。人文のみならず法学などでさえ、「物質的環境を変化させること」はできません。そうではなく人間の行為を広く支援している言語世界の環境を変化させていいくわけです(この変化は理科系の成果に比してはるかにわかりにくく、時には世代単位でないとその影響があらわにならないものですが)。
 ですから学問全領域に適用しうる普遍的な目的をあえて定義するならばこの点(人間の生活環境改変)でしょう。ただ、お互い、物質的世界と言語世界という異なるルートを経由してその目的に対して貢献している。こんなふうに理解してはいただけないでしょうか。

 では、なぜ「人間の生活環境改変」が必要となるのでしょう?なぜ「言語世界の大地を掘削したり耕したり」する必要があるのか?誰のため?誰が資金を出す?社会的公正の増大のため?個人的には、小説と哲学の違いを自分なりに納得のいく形で理解できないでいます。みなさんはどうお考えでしょうか。