「美」とは何か(=人間は「美」とどのような関係を切り結んで「美」という存在を捉えているのか)

 美しいと感じるのが、対象自体の有用性の問題でないとすると、我々は対象の中に何らかのプラスの意味を感じていると言うことになる。ではそれは何か。(中略)
 つまり美しいとは、人間が対象の中から何らかの法則を見出した時の感覚であり、またそれは知的欲求を満たした快感であるとも言える。その為より複雑な(元の対象に隠れている法則が分かりにくいと言う意味で)美しさは、人間により大きな快感を与えるのである。
 補足すると、この意味での美しいと言うことと芸術とはイコールではない。もちろん、美しさも芸術の一部分である。或いは芸術は美しさを元に発展してきたと言えるかもしれない。しかし芸術と言われるものは、美しいと言うだけでなくそれ以上のものを含んでいるように思われる。(http://www1.odn.ne.jp/toha/zbeautiful.htm

 これは重要な指摘だと思う。(対象に隠れている)法則がわかりにくいことが第一の条件。その上で法則を見出したときに、美を感じる。


 「法則を見出す」とはすなわち、自分自身の価値観(物語・意味の体系)に、驚きを与えてくれた(=一見すると法則がわかりにくい)対象を、取り込む(=矛盾のない形で組み込む)ということではないだろうか。いいかえれば、対象をとりあえずは「支配」しなければ「美」という感覚は生じないのではないか。


 もうひとつ、対象に「想像力の飛躍」見出せるかどうかも大事なポイントだろう。デュシャンの便器(『泉』http://www.linkclub.or.jp/~kawasenb/02artist/dcn1_page/dcnn.html)なんてのはまさにコレに他ならないかと。うーん。