ゼミで出た/考えた面白い論点その他のメモ。デリダの「差延」に関連して。
1.デリダとチョムスキーは似ている。
痕跡/trace/反復、そしてそれが投射されていくという発想に近いものをチョムスキーは持っている。チョムスキーも始源性を問わない。だが最近それを問う理論言語学の流れがあらわれた。引っ張っているのは、ホーンステインというフランスの言語学者。
2.デリダはシステムをどのように考えていたのか?差延とシステムの関係は?
3.デリダの「差延」では始源性を捉えられない。そのことの限界性。<開始>を肯定的に捉えることはできるのか?
4.原-エクリチュールの「原」に感じるひっかかりという指摘。
5.実体として、二項対立としてしか人間はあるものを捉えられない(おそらく認知的に。要リサーチ)。ひとまず引き受ける、その後にズラす、という運動としてしか脱構築はありえないだろう。