関係としての存在、モデルは対象そのものではない

 先日のエントリー(http://d.hatena.ne.jp/Gen/20040804#p3)で

問いの立て方によって、対象にアプローチする方法によって、現実はいかようにでも捉えることができる。大切なのは「どのようなとらえ方をすると、どんな意味が見えてくるか、何がわかってくるか」である

と書きましたが、(科学を志向する)心理学者で、似たようなことをおっしゃっておられる方もいるんですね。http://mimizun.com:81/2chlog/psycho/academy.2ch.net/psycho/kako/1002/10023/1002366447.html/297
「モデル」に対する2つの異なる見方。一方は「現実を捨象したモノがモデル」と考え、もう一方は「モデルは現実に限りなく近づくべきだ」と考える。

297 名前:没個性化されたレス↓ :03/02/26 12:33
モデルについてのまとめになるかな?モデルの三要素〔進氏の著作より引用〕


①モデルは実物の表現または記録。実物についてわかっていることを推測を含めて表現したもの。
②モデルは実物の代用。実物を知り、実物について推論したり予測するのに利用される。実物についてまだわかっていないことを探る手がかりとしても使える。
③実物が一つでも、モデルはいろいろありうる。どんなモデルが適切かは、利用する目的による。

298 名前:没個性化されたレス↓ :03/02/26 13:03
次に「心のモデル」について同じく進氏の著作より抜粋


①心がどうなっているかについて、わかっていることを、推測を含めて、ことばや図を使って表現したもの。
②心のモデルは、心について知り、推論したり予測するのに使う。心の研究の手掛かりにもなる。
③心のモデルにはいろいろある。どんなモデルがいいか一概には言えないが、心についての理解を深めてくれ、有用な研究を生み出す手掛かりになる、そういうモデルが一般にいいモデル。

特に③のくだりです。モデルを作ることは、論理的可能性を追求することであり、「モデルの価値」は、あくまでも「研究者が解き明かそうするモノ」に依存して決まるということです。