モデル構築とはなんぞや

 社会学文化人類学を学んでいて真っ先に感じるのが、「現状の固定化された状況から排除されているものを掬い上げるために、いかにズラすか、いかに現状の構築性を暴くか」が、通底奏音のように重視されていること。「脱構築」にしろ「知の考古学」にしろ「相対主義」にしろ。
 ふたたび、id:BJKさんの所から引用させていただくと、

 …と書いていたら知人からメールが。方向性が近いので、ここに載っけたいけど「絶対ダメ」と言われるだろうから載せませんが、僕も人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)、そして「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること、という指摘に同意します。

 『「その他の変数は一定と仮定して」みたいなことに対する抵抗こそが人類学の重要な特徴の一つであること』という時、上述した社会科学的な伝統を見事に踏襲していると感じる。そして、社会工学とは異なる文化人類学(社会科学)固有の強みがあるとすれば、そこなのだとも思う。


 それに対して認知科学や進化論は、必ず「その他の変数は一定と仮定」する。何かを固定しなければ、科学的検証(実験や統計)に耐えうるモデルは構築できない。ベクトルは、「現状をいかに少ない言葉でシンプルに説明できるか」に向いている。「現状をズラす(=自らを問い直す)」ことはさしあたって志向されない。


 社会科学に認知系の理論を輸入する際、このベクトルの違いをきちんと意識する必要があるのではないか。ここがぐちゃぐちゃになっている議論、混ざっているせいで社会理論構築が甘くなっている議論が多いと思う、のは学部生の勇み足だろうか。


 ただしひとつ付け加えたいのは、認知科学が必ずしも現状肯定ではないこと。たとえ生態学的妥当性が低くとも、たとえ「状況に埋め込まれて」いなくとも、ある実験データが、数量的なものであるだけに、強烈なインパクトを持つことがある。たとえば、「日本人は集団主義的/アメリカ人は個人主義的」という通説を見事に覆した一連の心理学実験(http://genxx.com/blog/archives/000135.html)。あるいは、意識と行動の結びつきに強烈な疑義を投げかけた下條さん(サブリミナルマインド)。無意識の問題系に関して、精神分析学的考察よりも実験心理学的データに魅力を感じてしまうのは、わたしが心理学科に在籍しているからだろうか。


 もう一点。前引用部の『人類学が「対象ありき」で(少なくとも今までのところ)やってきたこと(どれほど精巧にモデルを作り上げたところでそれを反映する/それを使ってうまく説明できるような「対象」がないと面白くない)』というところ。


 進化/認知理論を嬉々として語るわたしに、「でも、実際にフィールド出てみなよ。フィールド出たらそんな理論は成り立たないから。厳密なモデルを組み立てたいなら、フィールド(対象)志向をある程度あきらめる必要がある」とおっしゃった方がいたが、まさにその通りなのだろう。冒頭引用部の『「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか』の部分と対応するのだが、心理学がある程度厳密なモデルを構築できるのは、研究者の側から環境をセッティングするからであって、フィールドワークを命綱とする文化人類学が、進化論/認知科学の輸入に際して限界を持つだろうことは、想像にたやすい。


 スペルベルの言う「表象の疫学」を具体的に演じた民族誌(フィールドノーツ)を探しているのだけれども、なかなか見つからない(ご存じの方がいらっしゃれば教えてやってください‥)。もちろん、いくつかの点で、具体的なフィールドワークに活かせる進化論/認知科学の輸入の仕方があるのだと思う。それがBJKさんのおっしゃる「一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします」ということなのだと今思い当たる。そしてそれを探るのが、2本目の卒論のテーマです。フィールドに出たことがないので、絵に描いた餅をつかむ作業に違いないのですが。結論としては、またしてもメタ論を語ってしまった自分に、反省。

 自分用メモ1

http://d.hatena.ne.jp/BJK/comment?date=20050414#c
(勝手に引用してすみません。。)

 認知科学、進化論、文化人類学の接合に関して、

# BJK 『一方がもう一方からインスピレーションを得る、というレベルでは話がうまく行く気がします。実際進化生物学系読んでないのでアレですが、
そして繰り返しになりますが、人類学には、人類学自身の歴史に基づく、
・反決定論構築主義、文脈依存的な説明を好む
・反原子論(「文化」等を要素に還元することを嫌がる)
・目的論(生存のための行動、とか)から距離を置く
と言う姿勢があり、それがちょっと隔たりを埋めるのを躊躇させるのだと考えます。「淘汰」概念も、やっぱり人類学がピントを合わせる時間とスケールの違う時間での話な気もするし、あと、「物事は理屈どおりに進まないのだ」と考えて、モデルから事例を探すよりも、ある程度後からモデルを作る方が好きだ、とか。(以後略)

# Gen 『(中略)思うに、文化人類学には二つの側面が混在している、ゆえに(必要以上の)混乱が生じているのではないでしょうか。

1.自らが拠って立つもの(「文化」)を相対化する契機としての文化人類学
強引に要約すれば、浜本さんは「普遍主義vs相対主義は見かけの対立軸だ。本当の対立軸は己の拠って立つポジションの絶対化vs相対化だ」とおっしゃってましたが(http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/research/published/relativism.html)、「反決定論」「反原子論」「反目的論」といった際に、なぜそれが文化人類学のコアに関わるのかといえば、やはり相対化のモメントとしての使命を文化人類学は持つからではないでしょうか。』


2.「文化」という分析概念を軸にして社会理論を構築するための文化人類学
「認知」「進化」と親和性が高いのはこちらでしょう。(中略)スペルベルは「表象」がいかに心的機構と物質(発話されたもの・制度・人工物)の間を流通・分布するのかを解明する「表象の疫学」が必要だと述べていますが、最近の彼は、2.を重視していると思います。(彼は「表象の疫学」以外のアプローチを「解釈」という言葉で括ってしまうのですが)


もちろん、わたしは文化人類学の古典に親しんでいないので、見当違いのことを言っているのかもしれません。また、1と2は対立するものではなく、理論があってはじめて相対化も可能となるのでしょう。ただし、社会理論構築の際にひとつの方法として、進化心理学的知見などを取り入れ、厳密な「文化」モデルを構築する道があっても良いと思います。その際に、「淘汰」という概念、ないし進化アルゴリズム的考察は、ひとつの役立つ武器ではないでしょうか(「ミーム論」は失敗していますが)。

厳密な、再現可能性の高いモデルを構築するには、ある種の「還元論」「決定論」がどうしても必要になると考えます。しかし、こればかりを追求していると、心理学ないし社会工学と自らを差異化できなくなるので、文化人類学が直球として採用すべき道だとは思いませんが。

 ダーウィン以後

 ダーウィン死後は凋落の一途をたどった進化論。自然選択理論が支持されていたというよりも、

 現象としての進化とその唯物論的・進歩的な解釈という「周辺部分」のみが、ドーナツのように残されることになった。かくして、19世紀末から20世紀にかけて、社会進化論優生学が隆盛することになる。

 その後は‥
★メンデルの遺伝理論の再発見(1900年)
 ダーウィンの自然選択理論は連続的(アナログ的)に変化するということを重視。一方メンデルの遺伝理論は突然変異によって生物の形質が離散的(デジタル的)に変化することを強調。したがって「ダーウィン理論は過去の遺物だ」と見なされるようになる。しかし遺伝理論の発見は後に進化論を支える土台となる。


★フィッシャーらによる集団遺伝学の確立(1920年代後半)

 一個体で見れば、ある形質(A)から別の形質(B)に離散的に変化するとしても、遺伝子プールという集団全体でみた場合には、Aの頻度とBの頻度が少しずつ[連続的に]変化していくというのが進化のプロセスである。

 つまり集団遺伝学はダーウィン理論とメンデル理論を融合させた。メンデル的突然変異も、集団レベルの進化ではダーウィン的な振る舞いを示すのだ。


ローレンツティーンバーゲンによる動物行動学(ethology)の確立(のちにノーベル賞受賞)
 「形態から行動へ」――動物行動学が確立するまで、進化研究の対象になっていたのは、おもに生物の形だった。ダーウィン自身は動物の行動や生態、さらには心理的過程まで視野に入れていたが、忘却されていた。ふたたび行動を射程に入れたのがローレンツの功績。行動の進化系統の復元。彼は「動き」も「形」として捉えていたのだ。


社会生物学(sociobiology)の確立(1970年代)
 社会生物学とは、動物行動学を集団生物学化したもの。つまり、動物の行動の進化から、社会行動の進化へと視点が移動した。それにともない、集団生物学やゲーム理論といった、集団を扱う他分野との接近も進んだ。E.O.ウィルソンの著書から採られた名前。


★遺伝子を進化の主役に据える視点の確立
 それまでは「種の保存」のために生物は振る舞うというトンデモが信じられていた。遺伝子を中心にして進化を考えるという視点の転換が行われて、科学的な精緻さが上がった。1964年にウィリアム・ハミルトンが利他行動の進化を説明する理論を提出し、1976年にドーキンスが「利己的な遺伝子」という強烈なキャッチコピーで普及させた。


分子生物学の確立(1950年代)
 遺伝子の構造がつきとめられた。クリックとワトソンによる二重らせん構造の発見。DNAの立体構造の発見。遺伝子(遺伝情報)がどのようにして生物の固体を作り上げているのか、そのプロセスの解明への道が開かれた。これによって、研究対象が生物個体だけではなく分子へもシフトしていった。生物の系統分類を、タンパク質やDNAの構造をもとにすすめていく分子系統学の発展。


情報科学との相互交流(1970年代以降)
 生物の進化が情報の言葉で語られるようになる。1973年、ジョン・メイナード・スミスがゲーム理論を動物の行動に適用。分子レベルのデータ解析はコンピューターの発展により可能となった(情報科学生命科学)。一方、サイバネティクスや遺伝アルゴリズムによるプログラム開発など、生命科学の業績が情報科学にも環流される(生命科学情報科学)。つまり、相互乗り入れ。


アルゴリズムとして進化論を捉える(ダニエル・デネット
 アルゴリズムは、素材が何であるかということに依存しない。つまりダーウィンの自然選択の理論は、"if A, then B"形式で書かれているアルゴリズムなのであり、あらゆるものに適応させられる可能性を持っている。生命情報論。ミームという名のもとに文化的プロセスも解明できる可能性。


 まぁ、「進化理論はトートロジーである」とか得意げに吹聴してる香具師は、進化論のかわりとなる説得力あるモデルを提示してみろってこった。良いモデルとは、「1.その理論を通すと新しい何かが拓ける、2.よりシンプルに多くの事象を説明できる」もの。進化論そのものへの批判はあまりに説得力に欠けるものが多い。どのように進化論を受容すれば良いのか、どのように進化論を取り込みながら新たな社会的規範ないし倫理を築いてゆくのか。それこそ考えるべき問題なんじゃないかな。
 あとは「利己的な遺伝子」ってのも遺伝子が生き延びてくわけじゃなくて、純粋に受け継がれるのはあくまで情報なんだよな。忘れがちだけれども。

参考:

進化論という考えかた
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進化論の挑戦
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 ダーウィン

 1858年、リンネ学会で、同時期に同様の理論に思い至ったウォレスと共に発表。1859年、『種の起源』を出版。ちなみにダーウィン理論の大枠は1838年には決まっていたらしいが。

 ダーウィン以前

 どうも○○学ってのがごっちゃになってしまうので、佐倉統さん流のまとめかたを叩き台にしてみるテスツ。

 進化論の歴史的な変遷は、他のすべての科学と同様、キリスト教と密接な関係にあった。

 18世紀の時代思想がまずあった。18世紀の西洋生物学とは、自然=神の摂理の探求を行う学問であった。このパラダイムの柱となったのはふたつ、不変論とデザイン論。

 不変論は、すべての生物種は神がその完全性を示すために想像したものであり、その性質は不変であるとする。デザイン論は、自然が巧みに設計され整然と秩序づけられていることを明らかにすることによって、神のすばらしさが証明できるというもの。

 種の不変論とデザイン論を否定する立場があらわれるのは19世紀になってから。フランスでは大革命の影響で、啓蒙思想の流れをくむ唯物論的機械論が18世紀から盛んだった。その影響を圧倒的に受けたのがラマルク。唯物論的かつロマン主義的な進化論を提唱。
 ラマルクの説は

 使用頻度の高い器官は発達し、不必要で使用頻度の低い器官は退化して、そのような変化が子孫に遺伝すると考えた(用不用説

これは「獲得形質の遺伝」的考えであり、完全にアウト。
 さて、ダーウィンに影響を与えたのは‥1.チャールズ・ライエルの地質学。浸食現象を考察したライエルから引き出されたのは

 現在も観察できる微細な変化が過去の大きな変化の原因であるという視点。

 もうひとつが2.トーマス・マルサスの経済理論(『人口論』)。

 「人口は等比級数的に増えるが食糧資源は等差級数的にしか増えないために、資源を巡って生存競争が常に生じる」(人口論1798年

 文化は各個人がもっているものなの?

 久々に文化人類学らしく。素晴らしく豊かな、浜本満さんの論を自分で消化するための引用+少々考察エントリー。引用部以外は浜本さんの論ではなく、私の稚拙な考えなので誤解なきよう。
http://anthropology.soc.hit-u.ac.jp/~hamamoto/lecture/2004w/1.html

 文化は集団の保有する、その集団に固有のものであるとされている。しかしそもそも集団なるものは認識したりせず、結局認識とは個々人がおこなう作業なのであるから、認識体系のようなものがあるとすれば、それは少なくとも個人が持っているものでないことには話にならないだろう。さらに行動し、感情を持ち、感覚するのも、結局は集団ではなく個々人なのであるから、こうした「固有の体系」も個々人が各自もっているという形でしか想像しようがない。要するに「集団に固有の」ということは単に「集団の誰もがもっている」という意味なのだということになる。この定義では文化とは、個に対する類としてのカテゴリーの属性、その成員の共通属性とされるしかないことがわかる。

 しかしそこ[フィールド]で実際に記述されるものは、複数の人々の語りの共通部分や平均をとったものであることなどまずなく、むしろ前述したような[研究者による]総合と体系化の手続きの産物であり、とても[現地の]一人の個人には原理的に回収できない代物である。つまりこうした文化概念は、とんでもない自己撞着を含んだものになってしまっているのである。それをあくまでもその集団の成員全員がひとしく、あるいは平均的に持っているものだと主張するとき、人類学は文字通り、人間についての一つの歪んだ博物学となり、一つの集団を均質で硬直したものに描いているという批判をまさに甘んじて受けるべきものになる(eg. Rosaldo 1989: 43)。

 実に鋭い。

 人類学の記述の対象であるこうした知識体系を、個人と集団、個と集合態の軸上で想像するのはそろそろ止めたほうがよくはないだろうか。

 これは文化人類学への批判となるのみならず、「文化」の名を冠する学問すべてが真剣に理論的考慮すべき問題ではないだろうか。たとえば文化心理学。通常の心理学は、各個人の心性単一性を仮定し、文化を変数として扱う。したがって上記の問題は一応クリアしている。しかし、文化心理学

「心理プロセスは文化の内容をなかに取り込むことにより成立し、それらに囲まれることにより維持され、同時に、文化の内容は心のプロセスの活動そのものを映し出している。つまり、心と文化は歴史的循環のなかで互いに生成しあうものである。(中略)この意味において、文化は実質的に心を作り上げており、また同時に、文化そのものも多くの心がより集まって働くことによって維持・変容されていく」(北山忍編『文化心理学』、東京大学出版会

と自らを定義するとき、そこで想定されている「文化」とは一体何であろうか。通例用いられる文化心理学パラダイムは、日本人=集団主義的(相互協調的自己観)、欧米人=個人主義的(相互独立的自己観)というものだ。ここで「自己観」というタームに注意して欲しい。たしかに個人個人の「自己観」を実験的に調べることはできるだろう。そして、集団内の各個人の自己観(の傾向)が一致し、それを「文化的自己観」という共通要素として描ける可能性はあるだろう。


 では、各個人が持つ、文化に関する「自己観」はどのように形成されるのか。自己観は常に外部との差異によって構築される。実体論的にではなく、関係論的に。他の集団に属する個人との具体的接触によって、あるいは差異を体系的に描く学問的言説によって。通例外国人との接触は稀なので、むしろ言説効果の方が大きいといえるだろう(入試現代文なんかはまさに国民性論の再生産装置)。研究者・文筆家が描くコスモロジーは、直接的ないし間接的に、言説空間を形成する。


 浜本はオースティンの<陳述(statement)/文(sentence)>の区別を援用した上でこう続ける。

 私は人類学がこれまでコスモロジーあるいは文化、世界観などのさまざまな名前で呼び、誤ってなんらかの集団の保有物であるかのように想像してきたこうした知識を、ある種のネットワーク的な空間に帰属するものとして想像しなおそうと思う。私はこの空間をさしあたって言説空間と呼んでおくことにする。
 ‥「文」とは要するに、陳述の個別性や出来事性を取り去られ、他者の陳述に移植可能となった語りの姿である。組み替えられたり変形されたりして、その都度の陳述を形成しながら人から人へと受け渡され流通してゆくという、この「文」としての側面は語りにとって付随的なものであるどころか、その本質である。この移植可能性こそ、コミュニケーションを可能にする根拠でもある。
 我々はこうした「文」が、個別的な陳述を介して流通、転移、変形、結合していく空間を想像してみることが出来る。その都度の陳述が形作るコミュニケーションの、絶えず形を変える網の目状の連鎖が形づくるその空間には当然、明確な境界もないし、地理的な空間と同じ広がりを共有するわけでもない。‥こうした想像上の空間を言説空間と呼ぶことにする。‥この空間を構成しているのはコミュニケーションの網の目であるから、空間という言葉を用いてはいるものの、それが同時に時間的な存在――時間のなかで形を変えつつ自己形成していく存在――であることも言うまでもないだろう。

 その上で文化人類学の役割は以下の通り再定義される。

 「文」の流通という角度から見たとき、この空間での我々の語りの行為は一種の伝言ゲームに似た側面をもってくる。この空間の主人公を、変形したり組み替えられたりしながら流通していく語りそのものであると捉えたとき、語る主体の方は、どこかからもたらされた無数の語りを受け取り、それを自らの貯蔵庫に一時保持したり、組み替えたり変形させたりしながらさらに別のポイントに送り出す中継ポイントのようなものとしてイメージされるだろう。
 ‥きわめて局所的な空間を循環する伝言ゲームがある一方で、よりグローバルな、たとえば英国や日本に端を発する伝言ゲームがこの空間を横切っていくかもしれない。こうして「文」たちは、この仮想空間上に複雑な模様を描き出す。人類学者が取り出そうとする体系性とは、まさにこのパターン、流通する「文」たちを要素とする上位の体系性の片鱗なのである。

 極めて極めて大事な指摘は、

 知識がこの空間に帰属しているということは、それがこの空間の網の目を構成している中継ポイントたち――語る主体たち――によって共有されているということでもなければ、そのどこかに局在しているということでもない。知識がこの空間を流通しているということこそが、まさに知識がその空間に帰属しているということである。

というものだ。「流通」はもちろんメディアを通じても行われる。したがってマスメディアが跋扈する現代では、(見かけ上実体的な)「文化」の平準化が起こりやすいのだろう。ここに感染するものとしての「ミーム」という、うさんくさい概念を持ち込んでも一定の面白さはあるのだが、それはまた別の機会に。 


 もちろん単なる「伝言ゲーム」ではなく、語りは不断に生成・変容されてゆく。

 語りがまずもって陳述であること、つまりつねに具体的な個人による具体的な実践であることをもちろん忘れてはならない。人は語ることにおいて、単なる複製の流布を意図しているわけではない。

 さらに浜本の考察は冴えわたる。

 遊戯の伝言ゲームで、‥受け取っては次に転送している一連のメッセージが、後から振り返ってみれば互いに関係しあっていたと判明したとしても、それはメッセージの中継ポイントに過ぎない個々の語り手のあずかり知らぬことである。現実の言説空間においても、個々の主体がそれぞれ一回きりの陳述行為のつもりでおこなっている、反復・移植可能な「文」の転送ゲームが浮かび上がらせてしまうパターンや体系性を、語る個々の主体のみに帰すことは出来ない。それは個人にも、集団にも回収させることの出来ない体系性であり、まさにそのことこそ体系性が<社会的に>形成されたものであると言うことの意味なのである。

 各個人は一回きりの実践を行っていても、外部の観察者にとっては、いわば創発的性質として「文化」が(見かけ上、実体的に)立ち上がる。その創発的性質が強力な言説を形成し、また人々の一回きりの実践現場に接続される。
 さて、その上でかまびすかしい「研究者が語る権利」なるものを考えるとどうなるのか。浜本はこう述べる。

 おそらく、言説空間とそこを流れる語りたちが作り上げる体系性をトータルに対象化しうるような特権的な位置が存在するわけではない。言説空間は、その外部からは単なる無でしかなく、そこに接続することを通じてのみその姿を開示する。‥そして言説空間への接続はつねに、歴史的に限定された個別の実践であるので、その姿は特定の接続点からの特殊な景観以上のものにはなり得ない。まさにこれこそが人類学者のフィールドでの実践であり、その結果彼に与えられるものである。‥こうした接続を通じて人類学者が職業的に遂行している、さまざまな観測点における測量作業のような実践は、この空間に帰属しそこを流れる「文」たちを同定し、その相互の関係を明らかにしようとする作業だったのだと言えるかも知れない。

 さしあたって、自分の語りの位置を、どこまでも自覚するほかないようだ。


 わたしが考えねばならない問題は、1.流通する語りとしての「文化」と、行動(認知・感情)としての「文化」の関係。2.流通する語りとしての「文化」と、既に存在している制度としての「文化」との関係。3.流通する語りとしての「文化」と、(状況論的な)「道具」との関係。4.流通する語りとしての「文化」と、生態学的環境(あるいはアフォーダンス)との関係。5.言説をストックするサーバーとしての書物の問題。
 もちろん浜本さんの文献を読み進めれば、論点はより整理されるのだろう。でも、認知の問題を持ち込むと、いささか複雑さは増してくるように思われ、鬱。


 また、かつてhttp://d.hatena.ne.jp/Gen/20041224#p8に引用した福島さんの問題点

「ある意味で、社会的行為というのは、こうした[即興性と構造性のあいだの]スペクトラムのどこか中間点に位置づけられるものであるのは間違いない。そして、この行為の全体的なスペクトラムのどこに焦点を当てるかによって、構造的なパターンがどのレベルで観察可能になり、それが社会的行為との関係でどう位置づけられるか、再文脈化が可能になる」

と重ね合わせるならば、行為の一回きり・即興的な側面と、構造として比較的安定する側面とを、グラデーションにおいて考えなければならなくなる。つまり<陳述=一回きり/文=流通過程>の二分法は妥当するのか?(ルーマンなら「二分してるからこそグラデーションとか言えるんだろヴォケ」とかいいそうだけれども)

 
 最後に。ちなみに、文化心理学は、「自己観」と実際の行動との関係を、こう捉えている。

 自己観は「行動・認知・感情」に影響を与える。ゆえに、そのような自己観を抱いた人々が構成する社会は、そのような自己観を反映するものになる。

 この点こそがまさに焦点なのだ。自己観=語り=物語的世界=意味論的世界と、行動・認知・感情との関係が、いかにも不明瞭だ。「科学」を騙るならば、この点はもう少し問いつめたい。(もしかしたら私が知らないだけで理論的解消された文献がどこかにあるのかも)

 未来の家の考え方

 「家展――記憶のかたち」http://ieten.net/work_list.html。「記憶する服」と「メモリー雑巾」に一票。降り積もるように、重なり織りあうように、外在化されたかたちで記憶が残るのは大好き。自分のあずかり知らないうちに。ノスタルジア。雑巾で拭くようにあの記憶も消せたらなー、マジで‥