2004-12-24から1日間の記事一覧

Xmasイヴ

人混みに出かけるの、マンドクセ('A`)

LPPが提起するさらに興味深い点

「とくにここで興味深いのは、実践的活動を支える様々な道具類自体に、その実践がコード化されているという点であろう。この意味では、道具は単に物理的実在というよりは、むしろ<行為者−道具>はそれ自体で一つのユニットとして、社会的実践を行うと考える…

LPPのメリットのまとめ

「この周辺から中心への緩やかな移動というテーマによって、組織全体の構造を保ちつつ、しかも徐々に自己革新していく過程や、その中での、新旧世代の潜在的対立とその隠蔽、さらにある実践共同体と他のそれとの、いわば「間-共同体」の問題、といった一連の…

正統的周辺参加論のメリット

「従弟制という言葉が暗示するように、そこには親方あるいはそれに相当する存在がいて、彼をとりまくように、熟練の諸レベルの階層的、同心円的な構造が存在する。こうモデル化することの利点は、社会構造の再生産と、個人の認知的熟達化という心理的側面が…

実践共同体は二つの意味で、前もって構造化されている

実践活動を行う他の行為者間の構造 (実践活動に直接関係する)空間の物理的配置

ここで「正統的周辺参加論」を評価し位置づけてみる

これは 「ブルデューやギデンズによって推し進められる方向性を全面的に展開しつつ、心理学的に理解されていた熟練というのが生成する社会的文脈を非常に明確な形で組織的に提示した作品であるということができる」 つまり この理論の独創性は、「そこに<実…

「社会的」実践を考える際の注意

社会的実践は状況に埋め込まれている。が、問題は、それが「どんな状況であるのか」ということだ。状況(文脈)の境界を定義せねばならない。状況についての定式化が必要である。

ブルデュー「ハビトゥス」の限界

身体化されるとは、自動化される(=暗黙知化される)ということだ。では、こうした熟練の達成を可能にする条件とはいったい何なのだろうか。 熟練(暗黙知)の(認知心理学的)研究→熟練の達成を可能にする社会的条件を明らかにできない ハビトゥス理論→熟…

状況的認知論とハビトゥスとの違い

ハビトゥスは、ある種の弾性のような持続性を持ち、それゆえ対象を構造化する傾向があるとされる。この点で状況的認知論とは異なる。 「船や空港は、あくまで認知活動のリソースや道具に囲まれた場であり、人はそれを様々な形で利用しつつ、それに部分的に制…

ハビトゥスと認知(とアフォーダンス?)

「ここでは認知というのは、心的な構造ではなく、社会的身体が繰り出す慣習的行動の中に埋め込まれた、活動の一部分に過ぎない」 「それは社会的環境と身体の間での複雑な相互作用のごく一部に過ぎず、それゆえそれだけを分離させて形式化することなどできな…

ハビトゥスの概念を拡張すると

ハビトゥスの概念を拡張すると、いわゆる価値観全体にも応用することができる(ex.『ディスタンクシオン』)。 「ブルデューのいうハビトゥスとは、まさにこうした身体が構成する、認知・判断・行為の全体的なマトリックスのことであり、当事者の主観的な意…

ここでブルデューの実践/ハビトゥスの議論を導入してみよう

ブルデューのハビトゥスとう概念は、まさにこの構造的感覚を維持しつつ、それを心的構造として無意識の奥底に普遍的に設定するのではなく、日常的な活動レベルに設定したものだ。(構造性と即興性の調停) この概念の基礎は、意味生成の基盤としての身体への…

社会科学に求められている戦略

ある構造的なパターンは、それを否定するというよりは、むしろその構造的パターンを社会的実践の文脈の中に置き換えてやることが大切である。範疇の構造はわれわれの実践的な活動ときわめて密接な関係があり、その文脈で理解されるべきだ。 「社会的行為者を…

行為の全体的なスペクトラム

たとえばサッカーのゲーム→行為についての規制がはるかに緩く、われわれは刻々と変化する状況に微妙に対応しながら、瞬時に次の手を打つことになる。 「ある意味で、社会的行為というのは、こうしたスペクトラムのどこか中間点に位置づけられるものであるの…

社会的行為者(agent)を導入すると何が得られるのか

「心的構造の代わりに社会的行為者というものを分析の中心におき、彼らの実践的な活動というものを軸に分析してみると、心的構造という発想を支える暗黙の前提を、いわば再文脈化することが可能になる」 「われわれの様々な社会的実践は、極端に規制されたレ…

大事なのは

婚姻規則であれ、家屋建築の形式であれ、「ある場合には、それらにある種の構造化された側面が見出されるというのは、否定しがたい事実であり、ゆえに問題は、レヴィ=ストロース的な構造概念を一方的に破棄し、すべては分析者が作り上げた幻想に過ぎないとす…

社会的行為者(agent)が消えると何が問題か

具体的な文脈における行為者と活動との関係が消滅する。したがって、必要な差異まで消されてしまう。彼の困難さが明確にあらわれたのが婚姻規則に関する議論である。それゆえデュルケームに片足を突っ込んでいた英国人類学者は納得しなかった。

レヴィ=ストロース構造主義の操作によって何が消えたか

それは具体的な社会行為者(agent)である。サルトル流の実存哲学へのアンチテーゼとして誕生したいう背景、すなわちそれは、主観性の王国に対する、無意識内の構造からの攻撃であった。(cf.主観性の神話を攻撃したのは主に他にマルクス、フロイト、ニーチ…

認知科学と社会科学を関連させ強引にまとめてみる

行動主義 デュルケームは行動主義に該当する(正確には機能主義だが)。「彼は本来、心理学的なタームであった意識や表象という言葉を、集合意識、あるいは集合表象という形で社会学化し、いわゆる個人心理学的な領域を設定しなくても、それらの部分は観察可…

LPP(正統的周辺参加論)のポジション

認知科学と社会科学の二領域の間の橋渡し。その上で新しい理論的ゲシュタルトを構成している。また、LPPは社会的行為者(agent)の概念を導入した。

正統的周辺参加論(Legitimate Peripheral Participation:LPP)のまとめ、認知科学と社会科学の橋渡し、LPPはどう「ハビトゥス」を乗り越えたか

よーし時間に間に合った。基本的には『状況に埋め込まれた学習』の福島解説のレジュメ化。