前掲書より 都市社会学と都市人類学の違い

さあ、最もアツい箇所がこちら。

 都市人類学は、都市の全体性を鳥瞰的に示すのではなく、どこか考察のプロセスであるいはその分析方向が指し示す延長線上で、都市の全体性の「断面」を示してその全体性を「示唆し」ながら、逆にきわめて繊細で微的な都市住民の「喜び」や「悲しみ、つらさ」の中の人びとの踏ん張りや営みを描こうとする。こうして、都市人類学は、心意という人間の心中にあるきわめて繊細な動きと、都市全体の構造性という巨大性とを架橋して、そしてあくまでも人間から都市へ、微細から巨大へ、部分から全体へ、下から上へという方向性をもって、都市社会の生活像を描くものであり、そこにオリジナリティがあると考える。

 つまり、(都市)社会学を全体→部分、システム>人びとの心意、構造性→微細として見ていて、文化人類学はその逆だというわけか。どうだろう。ここに文化人類学社会学の差異を見ることはできるのか?ミクロな社会学をどう考えるか。
 あるいは「心意」というタームに鍵があるのかもしれない。文化人類学は「心意」を含めて記述を行ってゆくものだ、それゆえに構造化された理論の提出は難しい、と。やたらと「(日常的)抵抗」というタームが文化人類学で用いられるのもそのためなのかもしれない。