「開発人類学再考」玉置泰明(『文化人類学のフロンティア』所収)

 潜在能力(capability)とは、ある人が選択できる一連の代替的な機能(functioning)の集合と定義される。機能は人びとがもっている能力が発揮された状態を指す。そして貧困とは基礎的潜在能力の剥奪(状態)であり、潜在能力の拡大こそが開発(ないし公共政策)の目的ということになる。「開発倫理学」という分野を開拓したゴーレットは、「社会がより人間的あるいはより発展しているのは、人びとが『より多くを持つ(to have more)時ではなく、『より多くある』(to be more)ことができる時である」というが、「より多くある」とは潜在能力が発揮された状態ということであろう。

 潜在能力の中身を文化・社会に即して考えることが、新しい開発人類学の重要な役割となるだろう。「潜在能力アプローチを適用するには、その文化に内包されている促進されるべき価値がなんであるかを識別する必要がある」。そのためには、価値の人類学などの有効になる。それは、各社会における社会哲学あるいはよき差異の追求の在り方と言い換えても良いだろう。

 うーん最後はアマルティア・セン敷衍的か‥。「人間の安全保障学」ってやつですか。
http://human-security.c.u-tokyo.ac.jp/
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hs/
 可能性は凄いが、たしかに。でも、何かひっかかる。なんだろう。まだ言葉にはできないが。