脳内ルーマン・ノート

Gen2004-05-18




  • ルーマンのギデンズ批判
    • 社会的でない要因(技術)によって社会的現象(近代化)を説明しようとしている
    • ルーマンが目指すのは「社会」の普遍的理論(社会的なもののみによって社会的なものを説明する、あるいは、社会についての言明を当の社会の産出物として説明する)
    • 突き詰めて最終的にコンセンサスに至ることはあり得ない(議論終結の条件はもっと事実的なものであるex.時間etc...)→「構造的に決定されたシステム」「重層的決定」
  • 重層的決定(overdetermination、過剰決定)
    • 答えはわかっているけど、その答えがどの条件によって導かれたかがわからない状態
    • 一つの答えにあまりにも多数の要因が関与しているがゆえに、どの要因が力を発揮するかは偶発的(contingent)なものとなる
    • 「偶発的」=必然的でも不可能でもない=選択として生じてくる
    • だが「その選択はいかにして可能になるか」と問うてはならない。そうすれば常に「外」にあるなにものかを想定せねばならなくなってしまう
    • しかし一方、「偶発的である」で話を止めれば、「偶発性」自体を他ではあり得ない、必然的な様相と見なすことになってしまう
    • これは「複雑である」「多様である」についても同様。それらは単一の状態として名指しされてしまっている。「理解できない」も立派な一つの理解である。
  • →「超複雑性」へ
    • あくまで一面的である、と同時に社会の全体をカバーすることが必要=限定的であると同時に普遍的であることが必要→「機能分化」
    • 「ここでの『複雑性』は次のように理解されるべきである。すなわち、全体社会という複雑なシステムの内部において、複雑性に関する多数の競合する記述が存在するということとして、である」
    • これは≒リオタールのメタ物語の不可能性によって定義される「ポストモダン」?
    • 重層的決定された複数の記述を衝突させることが必要
    • 衝突の前提→複数の社会像が、既存の全体のゼロ・サム的な切り分けの形ではなく、それぞれが普遍的である社会の全域をカバーすること。
  • このようにコミュニケーションを、特殊的かつ普遍的な観点から組織することが、「機能分化」と呼ばれる事態。

マジおもしろい。いいヒントになるな。