馬場ルーマン・ノート

ええ今日は面白かった。今までの復習のようでもあり理解がすすんだ。

  • 機能分化社会=コミュニケーションが、各システム固有の二分コードによって組織される社会
    • とりあえずパフォーマティヴな相(誰によって発話されたか)にかかわらず、コンスタティヴな内容に則して組織される
  • 機能分化したシステムの射程は社会の全域に及ぶ(=機能分化は、総計一定の領域の切り分けではない。各システムの外延は等しくなる。問題は切り分けではなく複数化)
    • 機能分化社会は、多元的な社会である
  • 機能分化したシステムはあくまで閉じられており、相互に棄却しあっている
  • システムの外に出ることはできない。機能分化したシステムは、作動として閉じられている(特定のコードを前提とした同種のコミュニケーションによって成り立っている)
  • 機能分化したシステム→コンスタティヴの次元のうちに閉じこめられており、パフォーマティヴな次元を扱いえなくなっている。このような「内/外」の扱いがいかなるパフォーマティヴな効果を持つかに関する、別の二分コード(ex.政治的、宗教的‥)に基づく観察にさらされる

面白かったのはここから。

  • 現代社会において論じられる際にしばしば前提とされる、個別的なもの/普遍的なもの、多様なもの/統一的なものetcの問題設定は、特定のシステムの内部において設定されたものである。
  • 個別/普遍の問題設定のみにこだわることは、それ自体がひとつのシステム内部の言説であることを隠蔽してしまう。
  • むしろ問題は、そのように<学問>それ自体が、相争う(棄却しあう)、機能分化した領域のひとつにすぎないという点が明らかになったことである。

気になったのは

  • 「棄却化してくる人々の声をうまく書き込めているかどうかが問題」という発言。

付記。contractioさんへ。もしkeywordルーマンでここへ辿り着かれたら。以前はなにか失礼な感じですみませんでした。馬場さんの手先かと思いつい警戒してしまったのです。どうも。