20世紀初頭のロシアは本当に開かれていた。凄すぎる。

レヴィ=ストロース山口昌男の対談

  • フランスにベートーヴェンメンデルスゾーンを紹介したのはL=ストロースの祖父だった!(コンセルヴァトワール管弦楽協会の創始者
  • 映画について。ストロースはヒッチコックが大好き。ゴダールは嫌い。マルクス兄弟(→check!)も大好き。死ぬほど嫌いなのはベルイマン
  • 「私がこれまで構造論的映画だと思った映画は一つしかありません。それは日本映画で「砂の女」です。(→check!)「私は神話を映像に移しかえたい」
  • 博学の伝統の復興(現在はどうか?)
  • フレーザーの再評価(現在はどうか?)
  • 人間性というものが消滅するなら別ですが、人間性が続く限り、人間性の内側に差異性(異相)が現れると思います。われわれのこの異形性が現れる限り、人類学者の仕事は無くならないでしょう」(→要解釈)
  • 文化を深層において見る方法――「そう、そこには通路パッサージュがある。まさに、他の分野への道があります。扉は開かれています」
  • 「この場合に条件があります。一つの分野の他の分野へのすり替えを行わないということです。どんな新しい分野でも、他の分野の成果を使うオリジナルな方向を再発見していかなければなりません。」

「理論的な骨組みと、細部をして語らしめるという具体性が見事に調和した論文」、ねぇ。


ロマーン・ヤコブソンと山口昌男の対談

  • 「中世のカソリック教会は、パロディ劇を抑圧しなかった。カソリック教会はその長い伝統的な権威のもとで、反対のレベルの共存を否定することがなかった。つまり、高いレヴェルと低いレヴェル、悲劇的・宗教的レヴェルと俗的・パロディ的レヴェル。ところが、宗教改革の後この両者の共存は許されなくなった」
  • 「新政権というのは、ともすれば、一見自らの権威に対抗する芸術的傾向を敵視する傾向がありますね」「諷刺文への非寛容は、旧体制よりも革命政権につきものの傾向です」
  • 「人間はある分野では極めて革命的でありながら、他の分野で全く反動的・保守的であることがあり得るのだな」(レーニンを指して)
  • ロシア1920sをすぎると革命政権は寛容性において急速に減退してゆく
  • 「19世紀までは活字化される文学は主として教会の産物でした。これに対して通俗的な創作は口頭伝承だけに限られていたのです」
  • ロシアのオリエンタリズムへのまなざし
  • 「日本の芸術そのものへの関心は、全く逆説的に聞こえるかもしれないが、日露戦争のさなかに起こったことだったのですよ」「本当に日本に対する関心が強かった。ロシアにやってきた事物や芸術的影響は必ずしも感情的な日本に対する反応と結びついていなかったのです」
  • 「二十世紀初頭のロシアの未来派やフォルマリストの運動に対応する西欧における運動はジャン・コクトーの周辺にあった」
  • 「芸術には昨日というものがない」「創造的博学といったタイプの知性の活動」
  • モースが「分類の原初形態」の論文を書いた頃、エイゼンシュタイン民族誌を読み漁っていた
  • 映画について。バスター・キートンこそが真の天才。チャップリンよりも。マルクス兄弟キートンを観ろ!