Dominance, aggression and testosterone in wild chimpanzees: a test of the ‘challenge hypothesis’ (Animal Behaviour,Volume 67, Issue 1 , January 2004, Pages 113-123 )

 フェロモン系化学物質として知られる(?)、テストステロンに関するお話。趣旨は、「テストステロンは従来いわれてきたように生殖行為(セックス)に密接に絡むというよりは、広い生殖の文脈での攻撃性にこそ関連しているのではないか」というもの。


 セックス最中/セックスへ至る文脈(道筋)の区別はたしかに重要かも。面白いことにこのテストステロン値が高いとき、チンパンジーは子育てに関心を示さない。浮気をするパパは浮気現場で子どものことを忘れられる。化学物質的にも。おそらく。あとはチンパンジーの世界では出産経験のあるメスはモテるが処女は全くモテないって、知ってました?

 「神話の構造」、『構造人類学』(レヴィ=ストロース著)所収

 構造主義のいう<構造>とはすなわち、一見混沌に見えるものの中から二項対立(対立関係)をたくさん発見し*1、そのたくさんの二項対立を徐々により大きな単位の二項対立でまとめ上げてゆく作業により発見されるものであろう。徐々に有限個の対立関係に置き換えてゆく作業。そして置き換えても(=変換しても)残るものこそが、<構造>である。構造は変換と不可分だ。彼はこのことを親族→神話→思考という順に立証しようとした。


「神話的思考の論理は、実証的思考の基礎をなす論理と同様に厳密なものであり、根本的にはあまり異なっていないように我々には思われた。相違は知的作業の質によるというよりは、むしろこの作業が対象とする事物の本性によるからである。(p.254、強調部は引用者)」

 そしてこの考え方こそが、『野生の思考』へとつながってゆく。橋爪大三郎

 数学でさえひとつの制度であるとも言えるのだった。レヴィ=ストロースがひとつの思想(考え方のシステム)をこしらえたのなら、それも「客観的に正しい」のではないか。

と述べているが、どうだろう。レヴィ=ストロースの神話構造分析の方法論は彼にしかできない側面が強い。方法論としての未熟さは認めねばならない。そのことを学問としてどう評価するか。これは非常にセンシティブな問題であって、自分の文化人類学への評価(ないし「科学」への態度)を決めてしまいかねない。


 ところで人間は二項対立の檻の外に出ることはできるのか?現在の自分なりの答えは、「考える限り否である」、と。

*1:なぜならソシュールのいうとおり意味は或るものと或るものの差異の中にしか生まれてこないから