「日本人らしさ」は存在するのか?Vol.1 文化心理学を通じてhttp://genxx.com/blog/

久々にBlogを更新してみました。「日本人論」が文化心理学の手にかかるとどうなるのか。今回は文化心理学内部の論争の素描。Vol.2で社会学文化人類学を含めて考えてみるつもりです。進化心理学も含めなきゃな。

デリダの『グラマトロジーについて』におけるレヴィ=ストロース批判の恣意性

 デリダは、レヴィ=ストロースの記述を、無垢で善良な小規模の共同体、そのあらゆる成員が直接に透明な音声言語で語りかけあっている平和で非暴力的なミクロ社会に、策略と背信によって外部から(すなわち西洋から)、文字が搾取の道具として暴力的にもたらされたということを語る物語として読んでいる。

これはひとつは、デリダ

 自分の哲学のために他者の歴史を忘却

してしまったためである。また、

 デリダが暴力を隠すものだと批判している、閉じられた無垢で善良な共同体のイメージは、19世紀の西欧が、自分たちを暴力的で流動的だが「開かれた社会」だと規定するために、それとは正反対のイメージを過去や未開や田舎の小規模な共同体に投影することから創り出した観念である。ところが、デリダは、自分が批判しようとするその観念にこだわるあまりに、あらゆる小規模な共同体についての記述のなかに、無垢で善良な共同体のイメージを読み取ってしまう。

つまり

 この無垢で善良な共同体というイメージを必要としているのは、それが社会内部の暴力を隠しているということを他者のテクストのなかで暴露したいデリダのほうなのである。

すなわち、

 デリダの根源的と称する批判とは、自分たちの社会や時代が創り出した「閉じられた共同体」のイメージをいたるところにみいだしながら、それを内部の根源的な暴力を隠していると告発する一方で、当然出てくるそのイメージにあてはまらない記述は、驚くべき根源的な暴力の露呈として読んでみせるものなのである。

小田亮レヴィ=ストロース入門』より。たまたま手にとったら意外と面白い本だった。限りなく構造主義の可能性を追求する彼は、たしかにリスペクトだ。

アイデンティティからネイションを斬るために

ナショナル・アイデンティティ論の現在―現代世界を読み解くために

中谷 猛, 高橋 秀寿, 川上 勉


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「文化」なんてものは存在しない。実体をもたない。「心」と同様である。あくまでそれは便宜上仮定された概念である。とすれば「文化」という概念を解体し、ひとつひとつ内実を炙り出していく必要がある。むしろ「文化」という言葉は極力使うべきではない。「文化」解体の強力なアプローチの一つに、「アイデンティティ」から斬るという方法がある。もちろん「アイデンティティ」なんてのもあくまで構成概念なのだが、この論集は必ず目を通しておきたい一冊だ。ナショナルな感情は自己規定に他ならないのだから。ちなみにこれは社会学ナショナリズムゼミで知ったもの。

文化人類学はとことん文化を解体せねばならない。できれば裸の人類学の地平に行き着くところまで。

かなり話題になっているようですね、コレ

経済学という教養

稲葉 振一郎

おすすめ平均
もうかなりいいレビューが出ているのですが・・・
ついつい金子勝の本に手が伸びてしまう人に
優しいサヨクのための応援歌

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どれほどのものなのか、チェックしてみたい。メモ。