そこまで誉めるか

記号の知/メディアの知―日常生活批判のためのレッスン

石田 英敬


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原宏之さんのBlog教養の道http://mahamaha.cocolog-nifty.com/kyoyo/より引用。

 文系・理系を問わずに「なにか一冊は本を読んでみようと思う」と訊かれれば、まず本書を薦めるだろう。副題に「日常生活批判のためのレッスン」とあるように、この書は「いまわたしたちは<どこ><いつ>を生きているのか」と、現代生活の「環境」を読み解くための方法を提供するものであるからだ。その方法とは、「メディアにのった記号」(メディアも記号もどちらも相互依存的にしか存在しない)の分析である。こう書くとひどく難解な本のように思われかもしれない。実際読むひとが読めば、これが記号論やメディア論と呼ばれる文化研究の理論として、日本はおろか世界のなかでも第一級の水準にある先端の理論書であることが分かる。メディアや情報、文化、コミュニケーションなど、さまざまに増え続ける講義を担当する教員にも役に立つだろう。たとえばパースの記号論の箇所など(しばしば誤読が多いものだが)、これほどよくまとめられたものを見たことはない。
 こう語っても心配はいらない。広範な理論的背景をもつ本書は現代世界でわたしたちを取り巻く環境が「複雑」な分だけ、「複雑」である。だが、難解ということはない。すこし難しい語(たとえば「オノマトペ」)などにも、丁寧な注釈がついているし、なによりも各レッスンは豊富な具体的題材の読み方からはじまる。現代美術だけではない。都市、建築、写真、テレビ、そして広告など。これらすべてわたしたちの日常生活の「環境」、よくなじみの題材から話ははじまる。だが読み進めるにつれ、そこにどのようなメカニズムが働いているのか、なぜ「あゆ」は工事現場で働くCMに起用されているのか?など、さまざまな疑問がわいてきて、その疑問を自分で読み解くための手がかりを与えてくれる。 また個々の現象を超えた「欲望」のメカニズムについても、いまの時代自覚が必要なだけに、(一歩間違えれば売る側にも応用可能だが)学ぶところが多い。ラカンやバルト、パース、ヘーゲルと、難解な思想家たちの名前が並ぶが、個々の代表的概念の理解にも役立つだろう。 著者はフランスの哲学院でも教鞭をとるという、メディア研究(著者の専門は、情報記号論)のなかでは異色な位置にある。それだけに新しい発見もあるわけで、とりわけ広告とテレビについての章は、今後の研究の推進の新たな参照点となるだろう。第一級の啓蒙書である。

天井桟敷の人々

言わずと知れた名作中の名作。92点。今週は記号論構造主義ウィークなので記号論的に分析したくなるが、とりあえず、パントマイムの魅力にやられた。意味を読み込める快感。押しつけられない快感。どこかイラン映画にも似ている。ふと、アボルファズル・ジャリリの『ダンス・オブ・ダスト』を想い出す。

SUHARTO, WITCHES (James T. Siegel, Indonesia71,April 2001)

要約=レジュメhttp://genxx.com/wiki/pukiwiki.php?plugin=attach&pcmd=open&file=%CA%B8%B2%BD%BF%CD%CE%E0%B3%D8%C7%F2%C0%D0%A5%BC%A5%DF.doc&refer=Genxx.wiki%2A
つまり人が言葉を失ったとき、暴力が導入されざるを得ないということか。「実証」はできるのか/する必要があるのか。そもそも「実証」とは何か。