社会を科学モデル(数量化/実証)で研究することについて

参考:方法論、方法論、方法論!!!のコメント欄
 
 jounoさんの鮮やかな筆裁きに全く同意なのだが、これは現在どの分野でも激しく問われているトピックといっても良いだろう。心理学では論理実証主義に基づく量的研究に対する質的研究からの異議申し立てが盛んだ。たとえば論理実証主義から物語論パラダイムへの移行を主張するやまだようこらの一派。かつては(非臨床系の)心理学者がタルコフスキーを扱った論文を書くなんて誰が予想できただろう!また「真理を発見する」という自然科学のパラダイムから「どれが最も有意義な意味を持つか」を検討するという解釈学的なパラダイム(つまり意味の調停=「裁判型モデル」)への移行を主張する者もいる。
 だが質的研究と名指されるものの特色は、質的な数量化しない研究の「方法論を精緻化」することへの努力にあるのではないか。そもそも方法論の精緻化が「科学」なのか?それとも数量化こそが「科学」なのか?「モダン的」「科学的」、これら定義を自分でじっくりとリサーチしてみたい。
 文化人類学においても「統計的手法を学ぶべき」「方法論を精緻化すべき」、「方法論は精緻化しない方がよい」など様々だ。数量化から零れ落ちるものを拾い上げる「厚い記述」こそが人類学のかけがえのなさではないのか?方法論から自由に学問的知見を提出することに意義はないのか?それはただの感想だと見なされてしまうのか?
 だめだ、睡魔が‥。まとまらぬまま宿題にします。