Saya S.Shiraishi, "Japan's Soft Power: Doraemon Goes Overseas," Network Power: Japan and Asia, Cornell University Press, 1997
参考:http://www.center.isics.u-tokyo.ac.jp/new/news15/15-1.html
日本マンガ文化の基盤は雑誌
- 連載形式=書きながら同時にリサーチできる(綴じ込みはがき)
- リスクを削減できる=冒険的作品/実験的試みが可能
- 単行本化
- 人的コストをかけず利益を生み出す
- 海外でマンガの「雑誌文化」が育たない限り、その国ローカルな「マンガ文化」は育たない
- アニメが「毎週一話」というリズムをpunctuateすると、マンガ雑誌も月刊から週刊に変化した
<子ども>観の闘争がマンガ文化を決定する
マンガをめぐるヘゲモニー闘争はむしろ受け手の国内内部で生じるという視線は素晴らしい。
マンガ産業を支えているもの→「image alliance」
- イメージをめぐる同盟。ライセンスが根底にある。出版社、書き手、テレビ局、アニメプロダクション、マーチャンダイズ制作会社、ゲーム産業etc
- どこからでも利益を生み出すマンガ・キャラクターを誕生させることができる、それぞれがそれぞれの利益を相乗的に倍加させる。利益を生み出す「装置」。
- イメージ先行型の例→ビックリマン。マンガ/アニメは後付け
- ドラえもんはフィリップ・アリエス『子供の誕生』的な側面を持っている。Japanese way of lifeをアジア諸国に普及させた。
では音をめぐるショウビズの世界「sound alliance」を考察するとどうなるか?
「マンガ・リテラシー」とは
1.マンガの視覚的表現は新しい形の高度な記号である。
2.それぞれのコマはストーリーとの連続性の中で初めて意味を担いうる
3.読者にはこの特殊な記号を読み解く上でのリテラシーが必要である
4.子供たちは、大人よりも簡単にこのリテラシーを身につけることをできるだろう
5.次世代の漫画家はこのリテラシーを身につけたものから誕生する
「マンガ・リテラシー」の入門がアニメである。そこからコミックスを育ててゆく。だが雑誌文化がないとローカルなものは育たない。
文化は小さい装置で伝達されてゆく(ex.書店のコミックサイズの本棚の設置)
- ローカルなものが同規格化される
アメリカのCPUグラフィックス集団に日本アニメの愛好者多い→日本マンガが相当ハリウッドに影響を与えている
- minorityが生み出す文化が全世界を圧倒するという現象
では<子ども>相手ではない、サラリーマンコミックスを海外に普及させることはできるのか?『沈黙の艦隊』なんてどう受容されるのか非常に興味あるところ。鉄腕アトムの「アトム(原子)」という言葉なんて、原爆投下後6年くらいでよくそんな名前をつけられたよな。おまけに科学技術/子ども/平和/未来が有機的に結びつけられたのだから。