「言語の性質」ソシュール著、伊藤晃訳

  • 言語記号は物と名を結合させるのではなくて、概念と音響心像を結合させる。この音響心像は、純粋に物理的な物としての単なる音ではなくて、音の心的な印象、音が我々の感覚に与える印象である。(中略)言語の中の語をわれわれは音響心像と見なすのだから、<音素>が語を作り上げるという言い方はさけねばならない。→語の<音>とか<音節>とかいう用語へ
  • <象徴>の特徴の一つとしてまったく恣意的であることが決してないという点があげられる。象徴は空虚なものではない。というのは、シニフィアンシニフィエの間に自然な絆の痕跡が存在するからである。
  • シニフィアンは聴覚に訴えるものであるから、時間の中においてのみ展開されるのであって、時間から次のような特性を与えられている。(a) それは拡がりを表す。そして(b)その拡がりは単一の次元で測定される。それは一つの線である。
  • 記号の恣意性はじつは言語を変更しようというあらゆる企てからこれを守るものである。
    • 言語は恣意的な記号の体系で、議論の強固な場である必然性という基盤を欠いている。
  • 言語は集団の圧力のみならず、時間によっても制御される。
  • 記号は恣意的であるがゆえに伝統以外の法には従わないのであり、伝統の上に成り立つものであるがゆえに恣意的なのである。
  • 記号の<不易性>と<可易性>→二つは相互依存の関係にある
    • あらゆる変化において支配的な役割を演じるのは古い実質の持続である。過去の無視といってもそれは相対的なものでしかない。それゆえに変化の原理は継続性の原理の上に成り立つものである。
  • <変化>とは<シニフィエシニフィアンの間の関係の変移>である
  • 言語は音あるいは意味のいずれかに働きかけるすべての力の影響の元に変化する
  • <言語>――<時間>――<話し手の共同体>
    • 言語を当事者の気まぐれで変更されうる単なる取り決めたらしめずにいるのは、その社会性なのではない。それはむしろ社会的な力と結びついた時間の働きのせいなのである。

共同体=社会性→変化の契機、時間→変化の抑制=継続性の原理?