「寄生の美学」としてのキッチュ

 だが、芸術作品とキッチュは、それぞれ拠って立つ美学が異なっている。芸術作品は多くの場合なにかしらの強度をそれ自体に内包している。

  • 芸術→それに固有の視覚的な美的構造を備える(自存性の美学)
  • キッチュ→たとえばお正月の門松みたいな「際物」。それ自身に固有の意味や使用価値によってではなく、そのときどきの時節や場所や状況に寄生して、はじめて価値を得る商品となる(寄生の美学)

 キッチュな絵画(ラッセルとかかな?)とは何かといえば、

 それらが最大限の美的効果を得ようとしてとる基本戦略が、すでに伝統や習慣としてできあいの思考や感情の方式をあてにする寄生

なのである。しかしわたしたちはキッチュなしには生きてゆけない。テレビドラマが失われて矢田亜希子が姿を消すだけで、あるいはキッチュの極みのジャニーズが消滅するだけで、どれだけの人の人生の色彩がモノクローム化されてしまうのだろう。