もうひとつの態度――「誠実」

 キッチュはまた「誠実」という態度の問題でもある。ロマン主義においては、作品が芸術家の個性や精神の表現とされた。自己表現の美学は、自己表現の「誠実さ」を要求する。つまり、

 情動過多のキッチュは、作者自身が感じてもいない見せかけの感情の表現

だと考えられ、断罪された。たとえば商業主義に染まるハリウッド映画をさげすみ、タルコフスキーを称揚するとき、わたしたちはハリウッド映画の不誠実さを非難しているのだ。最近のJ-popにおけるインディーズ・ブームなるものも、このことに関連しているのだろう。作品に作家性を求めるムーブメントは、まず「誠実さ」を要求するムーブメントであった。青年は作品に誠実さを求めるからこそ、パゾリーニ監督は刺殺されたのだろう。
 ともあれ、センチメント(感傷)の過剰への非難は、まずは倫理的な非難であり、美的非難ではなかった。キッチュを巡る議論の混乱は、

 元来美的な現象を、もっぱら倫理的な観点から論じ批判するという点に由来

するのだ。