2005-02-03から1日間の記事一覧

 キッチュへの倫理的非難

ではキッチュへの倫理的非難はどのように成立しうるのだろうか。 キッチュが寄生の美学によってえたものを、あたかも自分に固有のものであるかのようにいつわって、みずからを「作品」として自分に売りつけるとき、たしかにそれは倫理的不誠実として非難され…

 「寄生の美学」としてのキッチュ

だが、芸術作品とキッチュは、それぞれ拠って立つ美学が異なっている。芸術作品は多くの場合なにかしらの強度をそれ自体に内包している。 芸術→それに固有の視覚的な美的構造を備える(自存性の美学) キッチュ→たとえばお正月の門松みたいな「際物」。それ…

 もうひとつの態度――「誠実」

キッチュはまた「誠実」という態度の問題でもある。ロマン主義においては、作品が芸術家の個性や精神の表現とされた。自己表現の美学は、自己表現の「誠実さ」を要求する。つまり、 情動過多のキッチュは、作者自身が感じてもいない見せかけの感情の表現 だ…

 キッチュとはセンチメントの過剰?「自制」という態度

たとえば19世紀、ヴィクトリア朝様式の過剰な室内装飾。あるいは現代でいえばラブホの過剰な装飾、悪趣味な喫茶店のシャンデリア、見栄っ張りな質屋育ちの娘が持参するどでかいダイアモンドの指輪、といったトコでしょうか。とにかくキッチュは「過剰さ」を…

 「キッチュ」の語源

昨日の続き。またもや基本的に『現代アートの哲学』に拠る。 キッチュの語源、ドイツ語、1860年頃、ミュンヘンにて。この時代は貴族・ブルジョワ社会から、産業・大衆社会への幕開けの時代。 一説によると、スケッチ(sketch)がキッチュの語源だという。ミ…